中洲の歩み

中洲年表
宝亀8年 757年 櫛田神社創建
治永3年 1179年 博多松囃子が始まる
寛元元年 1243年 博多山笠始まる
天文19年 1550年 ザビエル博多に来る
天正15年 1587年 豊臣秀吉 博多町割り行う
慶長5年 1600年
黒田長政、中洲中島町に中島橋を架ける(博多と福岡を結ぶ)
中洲誕生
慶長7年 1602年 黒田長政、福岡城に移る
貞享4年 1687年 博多祇園追い山笠始まる
享和1年 1801年 中洲河原で大相撲開催
天保5年 1834年 商売繁盛の守り神として國廣神社が設立される
明治12年 1879年 紀元節の日から松囃子三福神が復活し、”どんたく“が誕生する
福岡県立医学校が中洲に誕生する
明治29年 1896年 中洲券番を開設
明治32年 1899年 明治橋(中洲~川端、博多川に架橋)が竣工
明治37年 1904年 寄席”川丈座“落成開業する
明治38年 1905年 松居呉服店、現在地(五丁目)に移り後の松屋デパートとなる
明治41年 1908年 東京大相撲(常盤山・梅ヶ谷一行)東中洲共進館庭内で三日間巡業する
明治42年 1909年 四月四日・五日の二日間松囃子どんたく賑わう
明治43年 1910年 博多川の埋立を実施し、川端(現西側商店街)の拡張が行われる
博多座が完成し、こけら落としに”川上音二郎・貞奴一座“が出演
大正元年 1912年 九州劇場開場式
大正2年 1913年 市内初の活動写眞常設館(無声映画館)「世界館」落成
大正9年 1920年 市村羽左衛門・尾上梅幸・松本幸四郎一座、九州劇場で公演(一週間)
「中洲市場」作人通り新地に開業
大正12年 1923年 東中洲に高層建築「福岡ビルディング」完成
「福岡ホテル」福岡ビル四階に開業
大正13年 1924年
アサヒビール園西大橋角に開園
大正14年 1925年 玉屋呉服店(本格的デパートメントストア)福岡ビルディングを買収して新装開店
(初日の入場者四万七千二百人)
大正15年(昭和元年)1926年
那珂川花火大会を水鏡天満宮夏祭り余興として行う(主催者児島善四郎)
昭和2年 1927年
大正六年以来の厳しい寒波来襲来し、最低気温永点下四、八度を記録
昭和3年 1928年
「那珂川仕掛花火大会」を開催(水鏡天満宮奉納行事)
昭和4年 1929年
中洲夜市認可(博多川沿い)小屋仕掛露天市
初の本格的トーキー映画「四枚の羽根」(パラマウント社)寿座で公開
昭和6年 1931年
「川丈座」改装開業、九州一の寄席劇場となる
昭和9年 1934年
「ブラジレイロ」西大橋際に開業
昭和10年 1935年
「寿座」新装開店(西日本一の映画館となる)
昭和12年 1937年
「十七銀行」(福岡銀行前身)川端で地鉄祭行う(昭和十三年九月一日開店)
昭和19年 1944年
「博多演芸館を「多門座」と改名開業
昭和20年 1945年
福岡大空襲によって中洲は南新地の一部を残し、全地域廃虚と化す
昭和21年 1946年
戦後初の洋画「チャップリンの黄金狂時代」が大洋映画劇場で上映された。
昭和23年 1948年
中洲二丁目に「ふくや」創業。
昭和24年 1949年
博多祇園山笠に「中洲流」初参加。福岡玉屋屋上に福岡初の動物園が誕生。
昭和26年 1951年
西鉄ライオンズ球団が誕生。
豊田、中西、大下選手を有し、三十一年に日本シリーズで優勝した。
昭和28年 1953年 博多部復興のため「博商会」を設立し第一回博多おくんち行事を開催する。
昭和32年 1957年
大相撲九州本場所がスポーツセンターで始まる。
昭和36年 1961年
福岡市民の祭り「博多どんたく」第一回開催。
昭和38年 1963年
国鉄博多駅が開業する。
昭和41年 1966年
三六〇年余の伝統を持つ中洲を含め博多百三十三ケ所の町名が変更され新町名となる。
いけす料理「河太郎」中洲一丁目に開店
昭和48年 1973年
博多川に水上どんたく舞台を設置し、日田市より鵜飼いショーと屋形船の協力を得て博多川にて、第一回どんたくを開催する
昭和51年 1976年
第一回中洲まつり(十一月四日~六日)を開催する。
昭和53年 1978年
博多祇園山笠が国の重要無形民族文化財に指定される
昭和56年 1981年
福岡市営地下鉄一号線天神~室見間開通。
昭和57年 1982年
地下鉄一号線天神~中洲川端二号線中洲川端~呉服町開通。
昭和62年 1987年
第十二回中洲まつりに「国廣女みこし」を創設。
平成4年 1992年
中洲地域コミュニティ誌「中洲新聞」創刊。
平成5年 1993年
博商会、大博通りクラブ、博多駅周辺発展会の三団体設立(博多秋まつりスタート)
平成7年 1995年
県庁跡地に国際都市のシンボル「アクロス福岡」オープン。
中洲観光協会が発足、安心して楽しく遊べる中洲づくりを目指す。
平成8年 1996年
「キャナルシティ博多」がオープン。博多部の人の流れが変る。
平成11年 1999年
下川端地区に「博多リバレイン」オープン。
博多座大歌舞伎「博多川船乗り込み」行事開催。「博多座」オープン。
平成15年 2003年
中洲國廣女みこし一行百四十七名がホノルルフェスティバルに参加
平成17年 2005年
第三十回中洲まつりを開催。二日目に特別記念行事として「第一回中洲はしご酒大会」を開催する。
平成18年 2006年
複合商業施設「gate's」オープン。JRAゲイツビルに出店。
中洲地区安全・安心まちづくり協議会が11月20日発会する。
平成19年 2007年
暴力追放運動の功績により県警本部長より表彰を受ける。
平成20年 2008年 第33回中洲まつりの新企画として博多川に「水上レストランと舞台」博多よか床旨か場所(とこ)!を設置。 防犯カメラを中洲大通りに15台設置。
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中洲流の形成 旧町名 当番町
作人町 戦前博多川に架かっていた作人橋から入った作人橋通りの俗称。
千日前 大阪に修行に行かれていた西川清太郎氏が繁栄を込めて命名。
南新地 明治後期よりの名称で北の浜新地に対して付けられた。
芳町 戦災に遭ったが戦後初の住宅街が建つ。
人形町 博多人形師がいたことから町名となる。
新橋 博多川の新橋と春吉橋を結ぶ通りを中心として戦後にできた。
永楽町 昭和初期からの通称名で中洲の中心地。

■その他

楽天地 大正12年に商工会議所跡地の商店街として命名。取締以下の役員を田代辰夫氏の元に置き加勢町の窓口とし永楽町を保った。当番町については確認できなかった。
仲ノ町 中島町に属し、戦後食堂街として発展。千日町の加勢町

昭和41年、芳町当番町が最後。昭和42年、話がまとまらず、中洲連合会として山笠を運営。昭和43年、中洲一丁目~五丁目となる。町名変更の後、連合会組織も由緒ある東の文字を取り除き改めて「中洲連合会」とし、山笠運営は中洲一丁目~五丁目までの五ヶ町となった。

人物

【井上 吉左衛門 氏】
井上氏は家業である海産物問屋を継ぎ、戦後、西日本自動車などを経営するなか福岡市議に当選。
その後福岡県議に転じ、昭和30年4月から6期連続当選を果たす。昭和33年1月~昭和59年までの四半世紀にわたり、博多祇園山笠振興会会長を務めた。昭和61年には功績をたたえ、全流による初の追善山が行われた。

【井上 清左衛門 氏】
博多荘の創業者であり、井上吉左衛門氏の実弟。中洲流の発展に初期の頃より多大な貢献をされた。兄、吉左衛門氏が博多祇園山笠振興会で、山笠全体を仕切っている頃、中洲流をまとめあげた。元冷泉分団分団長。

【田代 辰夫 氏 (成きん食堂の父)】
戦災後、中洲で最初に楽天地商店街を復興。その後の中洲の発展に寄与された。中洲町連合会役員、冷泉分団分団長等を歴任。

【高尾 静 氏】
井上清右衛門、田代辰夫氏等が亡き後、中洲流をまとめあげた。昭和45年、追い山6番山笠として35秒1のタイムで1番。

中洲流と加勢町

大正14年の1番山に、土居町流の加勢町東中洲で参加。その他は真砂町(千代町)厨子町(店屋町:冷泉町)。
昭和の初期、今のNパサールの向かいに長屋がありそこが詰め所となっていた。 昭和24年、各流の町総代氏子総代の話し合いで行われていた山笠行事を合理的な組織にしようという声が起こった。落合栄吉氏の元に井上吉左衛門氏らが集まり準備を重ね、昭和24年4月博多祇園山笠振興期成会の結成へと向かった。期成会の席上で東中洲の山は正式に十二番山笠(舁き山順位は六番)、中洲流として認められた。
昭和24年に櫛田入りを果たしたにもかかわらず、山小屋に着くまでに飾りは壊され、ぼろぼろになっていた。これは中洲流だけへの妨害ではなく、他の流も同様であった。進行中ばかりでなく、舁き山の飾り物を祝儀物とするため、夜間、山小屋へ盗みが入るといった事が横行していた。その防衛のためと山笠参加人数の増加のため、加勢町を置く町内が増えた。

楽天地・・・馬出、松若   千日前・・・仲之町   人形町・・・西門中小路